できなかったのではない。やらなかったのだ。


2017.1.22 追記あり


歳を取ってから思うことといえば、とにかくこれである。

たいがいのことは、やろうと思えば多少はできるようになっていたはずである。

ところが、やらなかった。

そう、「できなかった」のではない。「やらなかった」のだ。

いまとむかし

面倒くさかったのもあるが、むかしはやろうと思っても、資金や機材のおかげでできなかったことも当然ある。

しかし、いまは2017年になろうとしている。

むかしはできなかったことでも、いまは簡単にできるものがある。

たとえばこんなことである。

DAW(Digital Audio Workstation)

1990年頃、僕はシンセサイザーやDTMに散財していた。

むかしはシンクラヴィア(数千万円)とかを買わなければできなかったことが、いまは数万円のパソコンでできるようになってしまった。

なんとうらやましい。

いま音楽に興味がある若いひとは、ソッコーでパソコンを買ったほうがいい。

そこには、1990年に僕が地団駄踏んでも手に入らなかった音楽制作環境が、フツーにある。

出版

売れるか売れないかは別にして、Kindleで自分で出版できてしまう。

なんという世のなかだ。

だから、物書きのひとは四の五の言わずに自分で出版すればいいと思う。

地元アイドルとかネットアイドルとかだって、普通に写真集を出版すればいいと思う。

とはいえ、「マンガ家になりたい」といっているひとがマンガを描いていなかったりするから、なんとも不思議な世のなかではあるが。

情報へのアクセス

昔はネットがなかったから、そもそも検索ができなかった。

だから、情報はひとから教えてもらうか本を買うぐらいでしか集められなかった。

ところが、いまはネットでたいがいのことは調べることができる。

ネット以前、僕は本や雑誌に月2〜3万円は使っていた記憶がある。僕にとって、情報とはお金とのトレードオフでしか手に入らないものだった。

そんな記憶があるせいか、スマホゲームで時間を潰すのが、僕はどうにも気が引ける(やってるけどw)

まとめ

昔ならともかく、いまは「そもそもできなかった」といえることが少なくなったのではないだろうか。

ITやネットのおかげで、お金をかけなくてもできることは格段に増えたと思う。

それでも「わたしはできなかった」というのだろうか。

実際は「わたしはやらなかった」だと思う。

最後に

もしいくらやってもできなかったのなら、そもそも向いていなかったということだ。

ハッキリいって適性には勝てない。

それが早くわかったのだから、結果オーライでいいのではないか。

で、また別なことをやってみればいいだけだと思う。




P.S.

さて、正月だし、やってなかったゲームすっかw


2017.1.22追記

ネットではキンコン西野さんの件が話題だ。

みなさんおっしゃるとおりではあるのだが、僕は上記とも違うような気もしてこんなツイートをした。

ちょっと話はそれるが、田舎では「新商品開発」のための補助金があって、みなさんがんばって商品を開発するんだけど、実際に商売をしているひとならわかると思うが、本当に難しいのは「商品開発」ではなく「販路拡大」とか「ユーザー拡大」である。

商売的には「販路拡大が9割」といってもいい。

ところが、その肝心の部分には補助金がつかない。田舎にはそんな商品が溢れている。

いや話がそれた。

で、翌日。FacebookのTLで家入さんのご意見をみつけた。

どれが正解はわからない。

だけど、いちいち文句をいっているひとよりも、やったひと・作ったひとの勝ちだと思っている。

ただ、どうやって販路を拡大するのか・ユーザーを拡大するのか。

そこを考えておいたほうがいいと思った。


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